北極の海の道、探検〜挑戦〜利用へ
北極海航路とは
北極海を横断して大西洋と太平洋を結ぶ航路は北極航路と呼ばれており、ロシア沿岸を通る北東航路、カナダ多島海を通る北西航路、および北極海中央を横断する極点航路が考えられている。北極海航路(以下NSRと記す)とは北東航路のうち、ノバヤゼムリヤ島を西端、ベーリング海峡を東端とする約2,300海里の区間に関するロシアでの呼称である(図1)。NSRを利用すると、欧州とアジア間の航行距離をスエズ運河回りに比べて3〜4割短縮できる。ただしNSRは、冬は厳しい低温と海氷に閉ざされ、夏でも海氷の残る海域がある。また沿岸国であるロシアは、氷に覆われた水域に関する国連海洋法条約第234条を根拠に、海氷状況と航行船の氷海航行能力に応じて、ロシアの原子力砕氷船支援と水先案内人の乗船を義務付けている。
図1 : 北極航路 ロッテルダム〜横浜間の航行距離は、北東航路回りではおよそ7,268海里、スエズ運河回りでは11,414海里となる
北極海探検の歴史
北極は古代ギリシャに置いて、氷に覆われた世界の涯と記されている。8〜10世紀にはバイキングが白海、アイスランド、グリーンランド、北米大陸東岸に達した。11〜12世紀、グリーンランドはノルウェーの植民地となって交易で栄えた物の、その後衰退した。14世紀には、バスク人、次いでオランダ、英国の捕鯨船がニューファンドランドやラブラドール沖へ進出した。
15〜17世紀は新航路探索が活性化し、ラブラドール半島、ノバヤゼムリヤ島、カラ海が踏査された。オランダのバレンツは3回の航海を通じて、ヤマル半島、スピッツベルゲン島などを発見するも、その後ノバヤゼムリヤの北で遭難した。このように北極海を横断する航路は見つからなかったものの、17〜18世紀のスピッツベルゲン沖では捕鯨競争が激化し、ついにこの海域の捕鯨は絶滅に近い状態となった。
18世紀、ベーリングの北極海探査により、カムチャツカ、ベーリング海、東シベリア海が発見される。19世紀、スウェーデンのノルデンショルドが北東航路を完全航海、その後横浜に入港した(図2)。ノルウェー人ナンセンは、フラム号で北極海調査を実施した。一方、北西航路の完全航海は20世紀初頭のアムンゼンの航海による。ただし北西航路横断には出発後3年を要した。
ロシア革命後、旧ソ連は北極海航路管理局を設立、航路の探査・啓開活動を進めた。第2次大戦中は、米国からベーリング海峡を経てシベリア北岸に援助物資が運ばれた。1980年台には、ロシア原子力砕氷船団と氷海商船隊が国内輸送に活躍した。冷戦時代は外国には閉ざされた航路であった北極海航路は、1987年、ゴルバチョフ書記長の宣言により、国際航路として開放された。
図2:北極航路探検18世紀末、ロシアの科学者ロモノソフは、北極海を渡るアジアへの航路開拓の探検隊を送り出した。しかし北東航路の完全航海にはその後1世紀を要した。ノルデンショルドは1878年、排水量350トン、60馬力の蒸気機関をもつヴェガ号似てトロムソを出港し、ベーリング海峡直前で越冬し、翌年夏に無事海峡を通過した。この航海の前半には、レナ川探検用のレナ号、給炭船フレーゼル号・エクスプレス号が随伴した。
北極海航路のいま 〜利用動向
21世紀に入り、北極海の夏期海氷減退による航行環境の緩和を背景に、NSRが注目されるようになった。2010年代には船舶燃料の高騰が進み、輸送距離短縮による輸送コスト節減が船社の大きな関心事となった。あわせて中国の天然資源需要急増を背景に、NSRを通じた欧州およびロシア沿岸と東アジア間の資源輸送が始まった。このNSR輸送は、2013年には71航海136万トンまで増大し、鉄鉱石などがアジアへ、ジェット燃料などが欧州に輸送された。しかし2014年、燃料価格の下落、アジアの資源需要低迷、海運市場低迷に加え、ロシアに対する米国・欧州の経済制裁発動を受けて、NSRを横断する国際輸送は急減し、その後低迷が続いている。一方、NSRの総貨物量は継続的に増大し、2016年以降は毎年歴代最高を更新している(図3)。これにはロシア北極海沿岸からの原油輸送、ヤマルLMG基地建設、およびLNG輸送の増大が背景となっている。
このヤマルLNGでは、2018年よりLMGの積出しが始まり、最大で1,650万トン/年が積み出される。これは17万m3タンカーで約162航海に相当し、今日の北極海航路の主要な活動になっている。また近年、オビ湾やカラ海・ペチョラ海沿岸からの原油積み出しが通年で行われるようになり、これも主要な輸送活動となっている。
一方NSRを経由して欧州・アジア間を輸送する横断輸送は、当初は欧州側からの液体バルクと鉄鉱石が主体であったが、2014年以降は、中国のCOSCOシッピングによるバルク貨物輸送が主体となり、一般貨物輸送が徐々に行われるようになってきた。2017・2018年には家畜資料、2019年にはコンテナがCOSCOシッピングによって、欧州から北海道に輸送された。
図3:NSR輸送貨物量の変遷
北極海航路のいま〜氷海の航行
国連海洋法条約は、氷に覆われ、特に厳しい気象条件が特別な危険をもたらす水域について、沿岸国に海洋汚染の防止に無差別の法令を制定する権利を認めている。また国連の国際海事機関は、極海を航行する船舶に対する規則である極海コードを制定している。一方ロシアは国連海洋法条約を根拠に、NSRを通航する船に関し、事前申請、船の構造的要求、船員の氷海航行経験、砕氷船による航行支援を受ける義務などを規程した北極海航路法を制定している。北極海航路を航行する船は、こうした規則を守る必要がある。
氷海を航行できる船には、耐氷船と砕氷船がある。どちらも、海氷による船体への荷重や抵抗、低温環境への対策が行われている。このうち、砕氷船は積極的に氷を割って進む能力があり、他の船の航行や作業を助ける強力な船である。耐氷船は、海氷がまばらであったり、厚さが薄い海域を進むことのできる船で、海氷が厳しい場合は、砕氷船の助けを受けることにより航行できる船である。氷に覆われた海の基本的な航行は、砕氷船が先導して海氷を割り、水路を切り開いた後ろを耐氷船が続く方法をとる(図4)。図4:砕氷船と進む耐氷タンカー(CNIMF提供)
図5は、NSR海域の実際の船の動きを衛星から観測したものである。近年は、海域がほぼ無氷になる9月には、砕氷船の支援を受けず、単独で航海している。ただし夏でも海氷状況が厳しい海域や、季節的に中位以上の海氷状況が予想される場合は、ロシアの原子力砕氷船の支援を受けて航行している。その速度は、海氷が厳しくない場合には、通常帯域とあまり変わらない。ただし砕氷船の支援を受けていても、厳しい海氷のために航行速度が非常に低下した事例も発生している。
NSRのほとんどの海域の航行は、海氷が減退する夏期に限られる。ただし近年は、NSR西側のカラ海に置いて、少数の砕氷貨物船の他、原油タンカーがロシアの原子力砕氷船の支援を受けて、冬期にも航行している。また、ヤマルLNGからは、特別に新造された15隻の砕氷LNGタンカーにより、夏はNSRを東航し、ベーリング海強を通ってアジアは、海氷が厳しくなる冬はカラ海を西航して欧州方面へLNG輸送を行っている。この15隻のうち3隻は、邦船社が船主となっている。
図5:2015年のNSR航行軌跡 衛星観測によって5,000DWT以上の貨物船の航行軌跡を取得・整理した結果である。ここに青:タンカー(PC7)、緑:バルカー(PC7)、赤:バルカーとタンカー(PC6)を示す。PC6は多年氷が一部混在する薄い一年氷、PC7は多年氷が一部混在する中程度の厚さの一年氷の中を夏季又は秋季に航行する極地氷海船と定義される。
北極海航路の商業性と課題
NSRによる海上輸送は本当に合理的であろうか?NSR輸送の商業利用に際して考えられる課題は、輸送コスト、運航の特殊性、定時制、運航季節の夏季限定、事故リスクなどであろう(図6)。輸送コストにおける負の要因は、耐氷貨物船の建造コスト(通常船より10〜50%高額となる)、砕氷船料と水先案内料、船舶保険の割り増し、低温環境用燃料などである。一方有利な要因は、距離と日数の短縮によって燃料費、運航経費、船体償却費等が削減されることである。一般の貨物船(ばら荷船)では、燃料費が輸送コストの半分近くを占めることから、距離短縮は効果的である。また自動車運搬船やLNG船など、船体償却費が高額となる輸送では日数短縮がコスト削減に効果を示す。これら便益と追加コスト要因との相殺で、NSRの経済優位性が変化する。また、燃料価格が高くなるほどNSRの優位性は高まる。
図6:NSRが直面する課題
現時点での市場環境においては、ばら荷船による不定期輸送であれば、NSRによる輸送コストに優位性が認められる。しかし運航季節が限定されることは、定期運航が前提のコンテナ輸送においては、重大な欠点である。またNSR沿岸には貨物需要のある寄港地はなく、貨物需要が限定される。また、海氷状況によってNSR運航日数が変わるため、定時制の確保も大きな課題となる。海氷勢力が減退した近年、NSRの9〜10月はほとんど無氷となる。とはいえ、氷海は通常海域よりも障害リスクの高い海域である。航行技術、航路・海洋情報、非常時対策インフラなどは十分とは言えない。まtあ、船舶航行による環境リスクについても注意が必要である。北極海で燃料や積み荷の流出が起きた場合、その対応には多くの困難が存在する。船舶による海中騒音、バラスト水などによる外来生物侵入、排気ガス・粒子による環境リスクについても、配慮が求められている(図7)。
図7:船による海洋環境リスク
その一方で、船舶燃料の削減は、温室効果ガスの排出削減に寄与する。また、2018年におけるNSRの貨物輸送量は2千万トンであるのに対し、スエズ運河を通った船舶の貨物容量は11億トンを超える。このように、世界の海運ルートに比べると、NSRの比重はごくわずかではある。
とはいえ北極海は、これまでほとんど人類が進出してこなかった手つかずの自然が拡がる領域である。北極海の利用機会の拡大に向けた取り組みは、その持続性への取り組みと不可分であることが求められている。SDGsは、北極をめぐる国際社会・経済産業界における大きな課題となっている。
北極海航路の将来展望
中国COSCOシッピングにより、商業ベースでの欧州・東アジア間の不定期貨物輸送が徐々に始まっている。NSRの距離短縮による輸送コスト削減と輸送日数短縮が、船主側の魅力である。NSRを利用する同船社の挑戦は、中国の一帯一路政策とも相まって、当面は続く可能性が高いだろう。北極海沿岸の資源開発関連貨物の輸送は、NSRの利用が不可欠である。この分野の海運活動は、資源開発の動向如何による。ロシアは、カラ海からの原油およびヤマル半島からのLNG海上輸送をさらに拡大する計画を明らかにしており、今後はLNGおよび原油がNSRの主要貨物となることが予想されている(図8)。
図8:ロシア北極海沿岸からの石油・天然ガス生産計画 NSR西端の海域では、原油、LNGの通年での積み出しが始まっている。ロシアは、生産量が低下しつつある西シベリア地域に代替する石油・天然ガス生産地域のひとつとして、北極海沿岸の開発を進めている。
コンテナ輸送は通年サービスが前提のため、NSRによるサービスを実施するとすれば、冬季はスエズ運河を回る必要がある。この際、NSRが現行の大型船によるサービスと価格競争するのは困難である。NSRの活路は、冬季も中間寄港地をいれず、夏・冬通して短時間の輸送サービスを提供する点にあるだろう。しかし、現時点では、コンテナのNSRによる定期輸送の可能性は低い。ただし、今後も長期的に海氷減退が続くと、夏季の利用がより容易になるだけでなく、氷海航行能力の高い船を用いることによって、一般貨物においても、冬期の海上輸送が拡大する可能性がある。北極海航海と世界
北極域は地球の他の地域に比べ、平均気温が約2倍のはやさで進んでいることが報告されている。この北極の気候システムの変化は、温帯地域の気候にも重要な影響を及ぼし得ることがわかってきている。こうしたなか、北極圏では海運、資源開発、観光など、徐々に新たな利用機会を拡大するとともに、非北極圏からの利用機会が拡大する様相を見せている(図9)。国際社会に置いては、北極圏国を中心に、急速に変わりつつある北極の問題に対処する中で、北極をめぐる新しい国際的な関係も出現している。
図9:北極の温暖化による社会・経済インパクト 北極域の温暖化は、海域・陸域の環境と生態系への影響だけでなく、中緯度地域の気候や、北極をめぐる広範な社会・経済圏に影響を与えると考えられている。
北極海が商業的に航行可能になることによって、太平洋側の地域と大西洋側の地域との間の経済的な関係がより緊密になり得ることが予想される。また北極圏の天然資源開発に置いては、開発物資や生産物の輸送が現実化する。さらには、艦船の航行可能性が生じることは、こうした様々な情勢変化に際し、北極圏国だけでなく、非北極圏国もそれぞれの北極政策を定めるとともに、国際的な議論の場でのプレゼンスを高めている。このように今日、北極は地球環境だけでなく、国際的な関係や経済的な関係においても、北極圏国だけの問題ではなく、非北極圏国に及ぶ課題となっている。
日本と北極海航路
北海道は、NSRを横断した船が初めて出会う先進的地域であるという地理的優位性を東アジアの中で有する。宗谷海峡と津軽海峡は、NSRを経て東アジアへ向かう船が通過する要衝である。北海道を筆頭に我が国は、NSRによる海上輸送サービスルートをつくるプレーヤーとなり、航路の拠点となる可能性を有している。これまでに我が国は、NSRを通じて2回のLNG輸送、2回のタンカーによる輸送、3回の冷凍鯨肉、2回の家畜飼料、および2019年のコンテナ試験輸送の実績を有している(図10)。
図10:NSR経由で苫小牧・釧路に入港した貨物船
ただし、定常的な航路利用には安定的な発着貨物が不可欠である。NSRは地球の表裏にあって遠く離れた経済圏同士である欧州と日本との空間的・時間的距離を短縮する。これをツールとして、新たな経済連携が生まれることが望まれる。
また、近年は北極海観光も拡大傾向にあり(図11)、北極海クルーズのあとに北海道の港湾に客船が寄港する実績も得ている。千島列島・カムチャツカを含め、新たな観光資源として注目したい。図11:北極観光(フランツ・ヨゼフ諸島) ロシア砕氷船による北極点クルーズより。(北極観測支援機構 内海氏提供)
北極に関しては、我が国もまた、地球環境、海上の航行、経済、海運、資源調達、科学協力など、多くの分野に渡るステークホルダーであるといえる。古くから北極研究を積み重ねてきた日本に対する北極圏国の信頼と期待は厚く、その基盤のもと、適切な北極政策を展開するとともに、持続的な利用機会を創出し、国際的な連携と貢献を進めることが重要である。
文責:大塚 夏彦 (北海道大学 北極域研究センター 教授)