海洋地球研究船「みらい」の北極海航海
海氷を避ける「みらい」
日本の北極海研究において海洋地球研究船「みらい」は重要な観測プラットフォームです。砕氷機能がないため、観測時期は海氷面積が一番小さくなる9月が中心ですが、これまで海氷が消失した海域の大気・海洋・生態系などの貴重なデータを蓄積し続けています。海氷が少なくなったとはいえ、高緯度に行けば海氷縁に到達しますし、寒気の張り出しが例年よりも早ければ9月でも海氷が形成され始めます。「みらい」の運航には、海氷の被覆率や気温など、いくつかの制限があり、航行可能域はかなり限定されます。特に、70cm以上の厚い海氷が多い海域は入れません。したがって、海氷分布を支配する気温や風の予測および海氷自体の予測情報が安全な航海に必要不可欠です。
耐氷船でも国によっては、船を意図的に海氷域に閉じ込め数ヶ月間漂流させながらオリジナリティーの高い観測データを取得することもあります。これは乗船研究者および乗組員が氷海域での活動に対して極めて経験豊富で、危険な状況を熟知しているからこそできる活動です。一方、日本の船舶を利用した北極海研究は、氷海域での経験に乏しいため、海氷が少ない安全な海域で観測せざるを得ない状況です。
メイン画像:2018年の初冬の北極航海で船首部分が着氷した「みらい」。
初めての初冬航海で毎日海氷縁を観測
夏季の海氷面積の減少が注目されがちですが、冬のそれも同様に減少傾向で、結氷時期が近年特に遅くなっています。例年よりも高温な海水がベーリング海から北極海へ流入していることが一要因で、近年の11月においてはベーリング海峡の北部(アラスカ沿岸付近)が海氷で覆われることは稀です。この海氷の少なさが大気—海洋間の熱交換過程を通じて、大気循環を変化させ、北米の極端な気象現象を引き起こすと指摘する研究もあります。したがって、冬季の北極海が新たな観測対象となってきています。2018年に「みらい」は初めて11月の北極海航海を実施しました。9月に比べて一段と厳しい寒気が海氷域から吹き出すこの時期は(図1)、海氷縁が日々ダイナミックに拡大・後退を繰り返しながら、やがて北極海全体が海氷で覆われます。
図1:2018年11月23日の「みらい」で受信した衛星画像。アラスカ北部に海氷縁があるものの、その南側ではまだ結氷せず、大気と海洋の激しい熱交換過程が海上の筋状雲で可視化されている。
観測活動で予報が向上する
船上で実施する高層気象観測データは、観測終了後直ちに衛星回線を通じて気象庁に通報されます。これらは日々の天気予報を計算するための初期値を作る際に利用されます。北極海上など観測が他の地域に比べて極端に少ない領域では、観測データの有無によって予報精度が変化することが明らかになってきています。これまでの日本の研究成果だけでも、北極海上の低気圧、日本や北米の寒気吹き出しと熱帯低気圧(台風やハリケーン)などの予測が向上することが示されています。このように北極域の観測活動は、私たちの暮らしにも直結する側面があります。
一方、天気予報を発表する気象庁などの気象センターにとって、北極域の観測活動はどのような意義があるのでしょうか?研究者が天気予報を活用しながら観測活動をしばらく行うと、稀に観測事実と予報結果が明らかに異なる事態に遭遇することがあります。つまり予報が大きく外れていると疑われる場合です。たとえば、今回の航海では気温の予報が観測活動を制限する指標の一つでしたが、ECMWFの海上気温の予報は−5℃程度であったにも関わらず、現場では−8℃を下回ることがありました。予報情報の海氷分布を調べてみると、衛星観測データよりも海氷が少なく表現されており、その結果海洋から余計な熱が大気へ輸送され、気温が高めになったことが推察されました。このような観測に基づく予報情報の不具合の発見・報告で、数値モデルの改良が進む場合があります。ECMWFでは、野外観測で予報情報を利用する研究者と密接に情報交換を行うワークショップなどを企画し、利用者のニーズ発掘や数値モデルの改善に役立てるための情報収集に積極的です(図3)。
図3:ECMWFのワークショップで今回の航海概要と予報データの利用例を報告する筆者
観測と予測は表裏一体です。観測を行うには高精度の予報が必要なのに対し、高精度の予報を得るには観測が必要なのです。北極域は観測データが少ない地域だからこそ観測と予測の両輪を意識して研究を進める必要があります。世界気象機関では極域予測プロジェクトを立ち上げ、極域の観測網が予測システムにどのような好影響を与えるのか、大掛かりな観測キャンペーンと予報実験を進めており、日本もその一翼を担っています。
文責:猪上 淳(国立極地研究所准教授)